(真)日本の黒い霧

123便事件は世界の闇を照らす

ラブライブ、忘れちゃいけない田子の浦

前回の記事では、沼津市の三津(みと)について書かせて頂きました。その中でアニメ「ライブライブサンシャイン」のメインキャラに触れましたので、その続編として、本記事を提供いたします。

今回お知らせする場所は、沼津市のお隣、同じく駿河湾を囲む静岡県富士市です。富士市と言えば、田子の浦田子の浦と言えば百人一首に選ばれた次の歌が有名です

 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 
  富士の高嶺に 雪は降りつつ      山部赤人

この歌、普通に解釈すれば、作者が田子の浦の海岸、あるいは小船で少し沖合いを通り過ぎる時に富士山を詠んだものと取れます。富士山の雄大な姿と、駿河湾沿岸のイメージを重ねるのに特に難はありません。しかし、富士山に雪が降る様を見ているというのが今一つピンと来ません。だいたい、田子の浦から3千メートル超の山の頂に雪が降ってる様子など見えるはずがありませんから。

一般的な解釈としては、「雪が降る様子をイメージして詠んだのだ」ということになるのですが、普通に考えて、あの背の高い富士山に雪雲が掛かる時に頂なんぞ見えません。暗い雲に覆われているように見えるだけです。そんな殺風景な様を見ながら、歌聖と呼ばれた一流歌人がついつい歌を詠みたくなるものでしょうか?

尤も、万葉集に掲載された歌の方は「雪は降りける」と積雪後の景色を描写しているので、こちらはいくらか状況的にしっくりきます。しかし、現地に行けば、また以下の地図を見てもお分かりになる通り、富士の高嶺は田子の浦を通りかかる前にしっかり見えるのが実際です。ラブライブサンシャインじゃあるまいし、そこまで無理な演出をして人を喜ばせようと歌を詠むものなのでしょうか?

一番に考えられるのが、、田子の浦という場所が、現在の富士市のそれではないということです。一般的には、今より西側の、山陰になって富士山が視界から隠れてしまう、由比(ゆい)とか蒲原(かんばら)辺りがかつての田子の浦であるというのが定説になっているようです。しかし、それって歌の状況に合わせて無理矢理こじつけた説明のようにも思えます。だって清水から蒲原に向かったとすれば、清水の辺りで富士山は見えるはずですから。

私が推測するには、この歌に出てくる富士とは、そもそも現在の富士山を指していない、すなわち田子の浦もどこか全く別の場所のことを指しているのではないかということです。それならば、歌に詠まれた富士はどこなのかという、新たな疑問が生まれます。

そんな疑問をよそに、富士市では富士山と現在の田子の浦をしっかり結びつけた施設を作っています。まあ、日本で一番最初に日の出が拝める町が全国にいくつもあるくらいですから、そんなことをいちいち気にしてられませんが。

今回はそんな田子の浦に関して、前回に続き関係者向けの解説図を掲載いたします。

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図1:田子の浦と沼津の位置関係

図中のキャラクターは左から、ラブライブ高坂穂乃果」、ダーリン・イン・ザ・フランキス「ゼロツー」、伝説のアイドル歌手「岡田有希子」、ラブライブサンシャイン高海千歌」。実はどれも共通した女神の名を象徴しています。ちょっと、考えてみてください。そして、この女神を呪うことこそがラブライブプロジェクトの真の狙いなのです。

 

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写真1:田子の浦みなと公園に昨年完成した「富士山ドラゴンタワー」。全高37.76m

 

写真1の施設についても、「気」の取り扱いにかなり問題があったので、こちらで勝手に調整しておきました。こんなものを設計したデザイナーさんは大いに反省してくださいね。


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今回の古典和歌に出てくる富士が現在の富士山ではないだろうという着想は、実は万葉集(783年)より半世紀前の同じ700年代に編纂されたとされる、日本書紀(720年)と古事記(712年)に富士山に関する記述が全くないという事実から得たものです。日本一の山であり、日本のシンボルとされている我らが富士山が古史に一言も言及されていないとはどういうことなのでしょうか?

理由の一つに、宮廷が富士山から遠い場所にあった。そのため富士山の情報があまりなかったというのが考えられます。しかし、大和武尊(ヤマトタケルノミコト)は東へ向かう時に焼津から海を渡り現在の千葉県に向かったのですが、そこのくだりで富士山に触れた記述は見当たりません。さらには現在の伊豆半島についてすら言及が何もないのです。

これはもう、記紀に書かれている地名が全く宛てにならないか、もしくは、かなり突飛な物言いとなりますが、

 当時、富士山はそこになかった

としか説明のし様がありません。トンデモ話のようですが、実は富士山がそこになければ説明が付く説話が他にもあるのです。

歴史を見るときに、現在の地理情報で理解しようとするのは最も避けなければならないことです。記録に残っていない天変地異で地形や気象が大きく変わった、そのような可能性も考慮するのが正しい姿勢だと思うのです。

今回は上手くまとまりませんが、そんな調子で、これからも歴史問題について触れて行こうと思っています。


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