(真)日本の黒い霧

123便事件は世界の闇を照らす

たまこの呪い2-八百比は手塚治虫か

この記事は、「たまこの呪い - 京都皇統代の野望」の続編となります。

前回のたまこの呪いで、気になるキャラクターとして紹介した、八百比 邦夫(やおび くにお)について、もう少し深く見てみます。そのキャラクター設定は

 ・うさぎ山商店街の喫茶店「星とピエロ」のマスター
 ・会話をする時、独り言をつぶやくように話す
 ・客の心情に合わせてDJをするのが密かな楽しみ

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八百比 邦夫(やおび くにお)。何故か首に数珠、日々葬式か?

となっています。この名前が明らかに伝説の尼僧、八百比丘尼(やおびくに)をもじっていることはほぼ疑う余地がないところです。


八百比が象徴するもの
八百比丘尼が一般的にはどのように説明されているかを見てみると

朝日日本歴史人物事典の解説

八百比丘尼
人寿800歳に達したとされる長命の比丘尼。全国を旅したという伝説が各地に残っている。これら伝説の中心と目されているのは,北陸から能登地方である。福井県小浜市の空印寺の洞穴で入定したといわれる八百比丘尼は,長寿であるにもかかわらず,その容貌は,15,6歳くらいの若い女性のように見えたという。若さを保っているのは,禁断の肉である人魚の肉あるいは九穴の貝(あわび)を食べたためであると伝えられている。新潟県佐渡島の伝説では,八百比丘尼は,人魚の肉を食べ1000年の寿命を得たが,200歳の分を国主に譲り,自分は800歳になって若狭の小浜で死んだと伝えている。文献のうえでは,中世室町時代の記録『康富記』や『臥雲日件録』に,文安6(1449)年5月,八百比丘尼が若狭より上京したことを記している。八百比丘尼像の特徴は,手に椿の花を持っていることである。北陸から東北地方にかけての沿岸部には,椿がまとまって茂る聖地が点在している。椿は,春の到来を告げる花とみなされ,椿の繁茂する森は信仰の対象となっていた。旅をする遍歴の巫女が,椿の花を依代にして神霊を招いたものと想像されている。八百比丘尼の別称は白比丘尼という。白のシラは,再生するという古語であり,シラ比丘尼の長寿は,巫女の特つ霊力とかかわるものであろう。

(宮田登)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について
引用元:コトバンク https://kotobank.jp/word/八百比丘尼-1101629

800年の寿命を得た尼僧という説明は、その他の文献でもだいたい共通していますが、上記解説で注目すべきは

 八百比丘尼像の特徴は,手に椿の花を持っていること」

にあります。なぜ椿の花なのかについて、上記解説は想像によって語っていますが、実は椿そのものが重要な意味を含んでいるのです。椿は冬でも葉が落ちず、永遠の生命の象徴として考えられ、古代では現代の榊(さかき)と同じように神前に供えられていたといいます。しかし、それよりも注目すべきは、日本神話に登場する

 猿田彦(サルタヒコ)

の神です。次の写真は三重県鈴鹿市にある椿大神社ですが、その祭神が猿田彦であり、同社のホームページによると、『仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。』とあります。

 

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椿大神社

つまり、椿は猿田彦の象徴であると捉えて良いでしょう。その猿田彦は、神話の中で現天皇家の先祖とされる瓊瓊杵尊ニニギノミコト)が天孫降臨する際に道案内した神として知られています。そして、その猿田彦の神はまた伊勢の猿田彦神社宮司家である宇治土公(うじとこ)氏の祖先であるとされています。ここで気になるのは、京アニの本社が置かれているのが京都の宇治市であるとことです。すなはち、「宇治」という文字・音における共通点がそこに見出せるのです。京都の宇治と宇治土公氏がどのような関係であるかは、まだ調査が必要ですが、言霊(ことだま)を非常に大事にする古代人の考え方からすると、「宇治」の持つ深意に共通するものがあると考えられます。

さて、前回ご紹介しましたが、八百比は主人公の"たまこ"と"もち蔵"、つまり北白川宮と現皇室の二つの皇統の象徴である二人を、コーヒーとレコード音楽を用いてその心情を聞き出し和ませ、アドバイスする役割を担っています。皇族を案内するという点では、猿田彦とやっていることは同じなのです。


デラ・モチマッヅィと八百比に共通するもの
ここで再び、謎のしゃべる鳥のキャラクター「デラ・モチマッヅィ」に登場していただきます。デラが、京都を守護する南の鳳凰(火の鳥)を象徴することは前回説明しましたが、前述の分析から、喫茶店マスターの八百比と関係してくることが改めて浮かび上がってくるのです。

  八百比 → サルタヒコ
  デラ  → 火の鳥

サルタヒコ と 火の鳥、この2つのワードから読者さんは何を連想するでしょうか?次の図を見るとより分かり易いのではないかと思います。

 

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そうです。日本の大漫画家、手塚治虫の名作「火の鳥」のメインキャラクター、高鼻の「猿田(サルタ)」と主人公「火の鳥」なのです。アニメ「たまこまーけっと」には裏設定として手塚治虫氏の「火の鳥」が描き込まれているという訳です。京都アニメーションという会社が、手塚治虫氏に師事した八田陽子氏によって創業されたことを考えれば、関係者やマニア向けにこのような裏設定を忍び込ませることはそんなに驚くようなことではありませんが、気になるのは、アニメ映画「たまこラブストーリー」の場合、明らかに123便事件を意識した上で、現天皇家を呪っていることです。

ここで、八百比のキャラクターデザインをよく見てみます。八百比の特徴とは

 ・高齢
 ・眼鏡を掛けている
 ・帽子を被っている

これはまさに、この方そのものを描いているとは言えないでしょうか?

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手塚治虫氏。八百比丘尼として今も生き続けている?

つまり、「火の鳥」の原作者であり、また京アニ創業者の師である手塚治虫氏そのものを物語中に登場させ、揺れ動く主人公たちの心を支配する役回りをさせている。主人公は皇族を表し、皇族は日本国民の純粋血統という象徴ですから、私は、これは製作者が遊びで挿入した恩師へのオマージュというより、故手塚治虫氏こそが、漫画というメディアを通し、日本国民全体の心を侵食してきた張本人であることを、視聴者をあざ笑いつつ高らかに宣言した「ほのめかし」なのではないかと捉えます。

漫画「火の鳥」に出てくる火の鳥は、過去や未来のどの時代にも現れ、永遠の命を求める人の心を激しく苛ませますが、そのような愚かな人間をけして救わず、いつも滅び行く様を見届ける存在です。手塚治虫氏は猿田彦であり八百比丘尼でもある。そして「火の鳥」の視点で今の文明が滅び去るのを見届けようとしている。このアニメの本当の狙いとは傍系による現皇室の転覆などという、分かり易い絵図なのではなく、皇統そのものの始祖である、国常立(クニトコタチ)神の転覆、日本神話的に解釈すれば、人類の創造神の転覆、すなわち現文明の破壊そのものではないかと考えられるのです。なぜなら、123便が遭難したのは、正確には高天原山の尾根であり、高天原山には国常立伝説が残っているからです。

角川書店のロゴに注目!
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京アニがアニメ化したライトノベル涼宮ハルヒの憂鬱」やコミック「火の鳥」を出版している角川書店のロゴが鳳凰(火の鳥)であることからも目が離せません。角川映画が制作した大林宣彦監督による尾道三部作については、123便撃墜計画に深く関与していたとして、(新)ブログ「神々の落涙(6)」で既に触れています。大衆洗脳の一翼として角川の関与はもはや決定的でしょう。

ホツマツタヱ」に示された系図によると、サルタヒコはクニトコタチの子である「ヱノサノサヅチ」の子孫ではあるものの、そこから続く子孫は華やかな皇統史からは消えていきます。皇統から消された一族の恨み、それが時代ごとに現れては、その時の皇室が築いた社会を破壊する。それが800年生きたと言われる八百比丘尼の正体なら、手塚治虫氏がなぜ「猿田」を時代を超えて登場する主人公としたのか、私も今になって分かってきたような気がします。

前回、八百比丘尼が時を移動する魔神として密教において崇拝されているという記述をしましたが、それは言い換えれば、現密教勢力の中に皇統から見捨てられた猿田彦の家系の怨念が反映されていることを示しているのかもしれません。


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