前回1月4日の記事で出雲大社に触れた手前、伊勢神宮のことも書かないと片手落ちだと思い、一言述べることにします。
伊勢と呼ばれる一帯が日本の聖地であることは間違いないでしょう。そこでは縄文時代とされる太古から、素朴な神殿を中心とした都市を形成していたと推察されます。しかし、それはあくまでもお土地の話。伊勢神宮設立の目的とは
古代聖地の呪詛封殺
以外の何ものでもありません。それは、境内の各所に作られている呪詛形態を見れば明らかです。
そもそも、本来は男神である天照皇大神を女神としたまま主祭神に置くことなどから、その悪意は十分読み取れます。性別を逆にする、名前を逆さまにする・読み方を変えるなどは、言葉による呪詛掛けの基本中の基本です。[例:高天原(×たかまがはら)→○たかあまはら、日本(×にっぽん)→○にほん]
近現代において、天皇が伊勢神宮を公式参拝されたのは明治になってから。偽天皇勢力が宮中で勢力を拡大し始めた頃です。さらに、伊勢の地を選定するに至ったとされる元伊勢伝説ですが、実際に元伊勢なるお社を数箇所見て回ったところ、どこも強力な呪詛形態が見られました。この伝説もまた、伊勢神宮の権威を高めるための虚飾の作り話であることは明らかです。
結論はこうです
伊勢神宮も出雲大社も日本の神様が大嫌い
なのです。
ですから、伊勢神宮に本拠を置く神社本庁の素性も知れるというものです。日本の神道は地域信仰がベースですから、基本的な考え方は共通していても全国統一された教義形式など元々なかったと考えるのが自然です。江戸時代の神仏習合そして明治期に西洋キリスト教式の教化システムを導入することで現在の形式に画一化されていったのです。然るに、戦前の国家神道、現在の神社本庁神道は日本古来の神道などではありません。強力な戦争肯定思想(≒悪魔崇拝)の基盤としてそう信じ込まされてるだけです。これは、吉田司家から始まった相撲の歴史とも何やら似ているような気もします。
それにしても、こんな神社がパワースポットだとは・・呪詛に気合が入ってますから確かにある種のパワーは感じられるでしょう。私から参拝するなとは言えませんが、伊勢や出雲に向かわれるなら、ぜひ美しい山々や海岸線を見て回ってください。それこそが、日本人が愛した神そのものだと私は思います。
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