※関連項目として、文中に『「百日後に死ぬワニ」の演出意図』を追記しました(03-23-11:00)
先日3月20日、あの忌まわしき地下鉄サリン事件から25年が経過しました。私は、この事件は123便事件と同じく、真実がうやむやのまま忘れ去られようとしている、日本の重大事件の一つだと認識しています。
また、123便事件に関するこれまでの調査結果と地下鉄サリン事件が示す類似性から、おそらく両事件とも実行犯もその目的も共通していると見ています。
昨年の5月、同事件に関して鉄道ファンからの貴重な意見がネット記事に掲載されていました。それを引用しますので、まず目を通して頂ければと思います。
謎多き「地下鉄サリン事件」のタブー
2019年5月3日 15:00
それはもう、教科書に載っているほかの事件と同じように、歴史の中の出来事になってしまったのだろうか──。
1995年3月20日。春の訪れを感じるうららかな朝の東京は、稀に見るパニックに陥った。営団地下鉄(現・東京メトロ)の複数の路線でサリンがばらまかれて多数の重傷者と13名の死者が出た、オウム真理教による同時多発テロ、地下鉄サリン事件である。
通勤ラッシュのピークに合わせて、密閉空間の地下鉄車内に猛毒のサリンがまかれるという、まさしく前代未聞のテロ事件。被害者はもとより、直接被害を受けていない人でもしばらくの間地下鉄に乗るのが怖くなったというケースも多く、一時的ではあるものの、東京では営団地下鉄の利用者が落ち込んだという。それだけ、地下鉄サリン事件は社会的に大きな影響をもたらしたのである。
結局、事件後にオウム真理教には警察による強制捜査が入り、教祖の麻原彰晃をはじめ幹部や実行犯は軒並み逮捕。オウム真理教は壊滅し、長く続けられていた裁判も麻原や幹部らの死刑判決によって幕を閉じた。
とは言っても、肝心の麻原はほとんど何も語ることはなく、他の幹部らとともに今夏に死刑執行された。幹部の中には当時の犯行の様子を詳細に語った者もいるが、首謀者の麻原が語らずしてこの世を去ったことで、地下鉄サリン事件の“真相”は完全に闇に葬られることになったのである。
では、この地下鉄サリン事件とは何だったのか。すでに述べたように、「オウム真理教による無差別テロ」というのが一般的な見方だ。ところが、30年来の鉄道ファンというA氏は、この見方を一笑に付す。
「被害を受けたのは千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3路線。その状況をつぶさに見ていけば、明らかにおかしな点ばかりであることに気が付きます。鉄道に詳しい人ならば、誰でもわかるはず。今まで大きく取り上げてこられなかったのが不思議なくらいです」
●サリンを垂れ流しながらも走り続けた地下鉄の謎
一体、何がおかしいのか。A氏は、被害を受けた車両のほとんどが、“国会議事堂前駅や霞ヶ関駅で運転を打ち切っていること”に強く疑問を抱くという。
「例えば代々木上原行の千代田線。実行犯の林郁夫は、新御茶ノ水駅でサリンのパックを傘で刺して穴を開けて逃走しています。乗客に異変が生じたのは二重橋前駅(新御茶ノ水駅から2駅、4分)を過ぎたあたりですが、列車はそのまま運行を継続しているんです。駅員がサリンを除去したのは霞ケ関駅(同4駅、8分)ですが、さらに走り続けて運転を打ち切ったのは国会議事堂前駅(同5駅、9分)でした。また、北千住方面に向かって走っていた日比谷線では恵比寿駅手前でサリンがまかれ、六本木駅付近、(恵比寿駅から2駅、6分)で車内に異臭が立ち込めた。神谷町駅(前同3駅、10分)で被害者の搬出作業まで行っています。ところが、そこでも運転を続けて霞ケ関駅(同4駅、12分)まで走っています。一部の鉄道ファンは、『国会議事堂前駅や霞ケ関駅は折返し設備があるために運行停止をしやすいから』と言うのですが、それはまったく当てはまらない。車内で次々に倒れる人が出るほどの異常な状況ならば、最も近い駅でただちに運転を打ち切り、まずは乗客の救出を第一に考えるべき。車両の折返しなどはその後で考えればいい話なのに、それが日本の政治の中心である国会議事堂や霞ケ関までわざわざ進んでいる。何か理由があったとしか考えられない」(A氏)
こうした疑問は、丸ノ内線の被害状況を見ても浮かんでくる。丸ノ内線では荻窪行と池袋行の2列車が被害を受けているが、荻窪行はサリンがまかれた御茶ノ水駅から中野坂上駅(14駅、28分)まで、延々と被害者を出しながら走り続けている。途中、被害者の搬出もサリンの回収も行われていないのだ。その後、中野坂上駅でサリンが回収されたが、列車は終点まで走って通常通りに折り返し、新高円寺駅でようやく停車している。
丸ノ内線池袋行はさらに疑問だらけで、四ツ谷駅でサリンが散布されたが、そのまま終点の池袋駅(13駅、28分)まで運転。ここで、普通ならば行われるはずの車内の遺留物確認がなされずに折り返し、サリンが除去されたのは本郷三丁目駅に着いてから。その時点ですでに9時を回っており、被害発生はテレビなどでも報道されていた時間帯だ。にもかかわらず運転を続け、国会議事堂前駅でようやく運転が打ち切られたのである。
「他の駅で重傷者が出るほどの異臭騒ぎが起きていて、同じような異臭が車内に立ち込めているとなれば、ただちに運転を止めて乗客を避難させるのが常識的な対応です。でもなぜか“国会議事堂前駅”を目指して走り続けています。また、最も多くの被害を出した日比谷線の中目黒行は、秋葉原駅で散布されたサリンを小伝馬町駅で乗客がホームに蹴り出したことで、被害が拡大した。そのため築地駅で運転が打ち切られていますが、これは“真犯人”にとっては想定外のことだったのではないでしょうか。本当ならばそのまま霞ケ関あたりまで列車を走らせる予定だったと考えるのが妥当です」(A氏)
●オウム側をハメた警察・公安の深謀遠慮
こうした疑問だらけの対応を「営団地下鉄の不手際」として片付けてしまうのは簡単だ。しかし、気になるポイントは他にもある。それを指摘するのは、オウム事件の真相を追ってきたジャーナリストのB氏だ。続きを読む
「地下鉄サリン事件が3月20日で、その2日後にオウム真理教に強制捜査が入っています。それに、そもそもオウムは松本サリン事件を引き起こしており、サリン製造能力があることは警察関係者にとって周知の事実だったでしょう。当然、公安関係者も動いていたはずなので、実行犯を含めた幹部ら関係者の動きはすべて捕捉されていたと考えるのが妥当。となれば、警察は事前に地下鉄サリン事件を察知していたと考えられます」
つまり、地下鉄サリン事件を警察は知っていた──。
そして、知りながらもそれを放置して実行させることで、オウム真理教を壊滅させようとした──。
しかし、B氏は「ここまで被害が拡大するとは思っていなかったのでは」と指摘する。
「実際、オウムが作ったサリンは純度が極めて低く、化学兵器として戦場で用いるようなレベルには達していませんでした。それに通勤時間帯は各駅での乗り降りが多く、乗客が入れ替わる。ドアも開くから換気になるし、被害はもっと小さいもので済むと考えていたのでしょう。それがフタを開ければ死者13名、重傷者は2000人以上ですから。慌ててオウム真理教に強制捜査に入って麻原らを逮捕し、真相をうやむやにしようとしたのでは」
さらにA氏は「地下鉄」という観点から、サリン散布計画を知りつつも放置した、当局のもうひとつの狙いを看破する。
「現実的な見方としては、地下鉄という空間が化学テロにどれだけ耐えられるかをテストしたという可能性。ただ、それだけでは国会議事堂前駅や霞ケ関駅までの運行を継続した答えにはなりません。被害拡大を少しでも抑えるべきですから。ところが、すでに大パニックになっている中でも列車を走らせ続けた。ということは、国会議事堂前駅や霞ケ関駅まで運転を続けることに意味があったと考えるべき。これらの駅には、国会議事堂や首相官邸、主要官庁などへの“秘密の通路”が設けられていることがよく知られています。その通路を利用して、霞ケ関や永田町周辺に待機している自衛隊や警察の秘密部隊がどう動けるか。その“訓練”が本当の目的だったのでは。いくら異臭が立ち込めて被害者が出ていても、無理やり列車を国会議事堂前駅や霞ケ関駅まで走らせた理由は、こう考えればスッキリしませんか」(A氏)
もちろん、サリン事件そのものはオウム真理教が計画し、それを実行したものだ。しかし、動向を把握しながらも野放しにし、挙げ句の果てに地下鉄に通じる“秘密の通路”の実証実験にまで使っていたとなれば……。麻原らの死刑が執行された今となっては、真相を知るすべはない。しかし、こうした推測は実に的を射たものだ。当時の当局関係者が、真実を告白することを期待したいものである。
引用元:exciteニュース(週刊現代) https://www.excite.co.jp/news/article/Weeklyjn_18565/
私が注目したのは「サリンを垂れ流しながらも走り続けた地下鉄の謎」の章で、鉄道ファンA氏が述べた部分です。この証言は説明が細かく、東京の地理を知らないと理解しにくいと思われますので、私の方で地図に落としてみました。この地図を見比べながら読むと分かり易いかと思います。
画像1:A氏の証言を地図上にプロットした
ここで注目するべきは、A氏も指摘する
丸の内線池袋行の異常な走行
です。四谷[オレンジ色①]付近でサリンを撒かれた同車両は、終点の池袋[オレンジ色②]でサリンを回収せずに折り返したばかりか、途中の本郷三丁目[オレンジ色③]で回収するも、わざわざ国会議事堂[オレンジ色④]まで走行している。それも、既にニュースで事件が報じられ始めた最中です。
A氏が見立てるように、そんな中でも走らさなければならない理由が何かあった、そう考えるしかこの異常性を説明できません。
では、その異常走行の理由とは何だったのか?それについて論じているのが、引用記事後半の「オウム側をハメた警察・公安の深謀遠慮」の章で、ジャーナリストのB氏が自説を述べています。
要約すると、「オウムの計画を察知していた警察・公安が、一斉検挙を目論んで彼らを泳がせていたら、予想以上の被害を生んでしまった。」という、何とも善意に溢れた解釈です。
例え完成度の低い毒ガスでも、それが死傷者を生むのが分かっているなら阻止するのが警察や公安の仕事でしょう。それをやらないなら、警察・公安自体が犯罪者と同じであり、B氏はその点を深く追及するべきです。また、最初の被害が確認されてからも走行を許している点を、この説は説明できていません。
その点、A氏の「化学テロ対策の実験のために、設備のある目的の駅まで走行させたのではないか」という説明の方が、やはり善意的な解釈ではあるものの、まだ納得できる点は多いです。善意的とは言っても、これはもう、警察・公安・営団地下鉄(当時)が同事件の共犯者だと言ってるようなものですが。
実は私も、彼らは皆共犯者であったと見ています。そして、地下鉄の運行に介入できる権限から鑑みると、むしろ彼ら(警察・公安)こそが同事件の主犯だったとも言えるのです。
■地下鉄走行は呪術であった
地下鉄サリン事件を通常の犯罪理論で説明しようとすると、どうしても上述のような少々無理な陰謀論的解釈で終わってしまいます。ここで私は、いつものように、呪術または陰陽道の観点で、この丸の内線の異常走行を鑑定してみました。
123便事件を調べて気付いたのですが、日本の重大犯罪者はこの呪術的設定を極めて重視します。むしろ、この設定が完成しない限り実行には移さないくらいの慎重さがあるとも言えます。地下鉄サリン事件も123便事件に似た異常性があるので、この手法が有効だと考えられるのです。
まず、全体像をもう少し分かり易く把握するため、画像1の地図を次のようにデフォルメしてみました。
画像2:サリン事件地下鉄走行分析図
ここでまず注目するのが、サリンを撒き始めた地点です。それは次の3か所に分類されます。
(1)御茶ノ水・秋葉原エリア (千代田線、丸の内線、日比谷線)
(2)四ツ谷駅付近 (丸の内線)
(3)恵比寿駅付近 (日比谷線)
ここで陰陽道の知見を用いると、(1)と(3)はそれぞれ
皇居から見て鬼門と裏鬼門
の方角であることが分かります。そして、鬼門側が特に手厚く3重になっていることが分かります。実はこれだけでもう呪術的な設計意図が読み取れるのです。
まず鬼門ですが、前にも書いたように、正式な陰陽道に「鬼門」という概念はありません。鬼門というのは「九鬼」や「節分の豆撒き」と同じように、異形の人間や神を蔑む呪いの言葉であり、いつの頃からか日本独自に発展したものです。そして、神とは神武以前の超古代天皇、また異形の人間とは、9代開花天皇までの古代天皇を指すのです。
そして、鬼門とはむしろ神の息吹(=御神気)を頂く方角であり、そちらの方角を開いておくのが正しい作法なのです。
皇居から見て御神気の息吹く方向から手厚くサリンを撒き始めた。その呪詛的狙いはズバリ
皇室の転覆
以外の何物でもありません。しかも、御神気とは正反対の方角(裏鬼門)からも撒き始めるという、実に念の入ったものです。
「百日後に死ぬワニ」の演出意図
なんかもう、ミエミエなので解説は最小限とします
ねとらぼより抜粋 (日付と数字に注意)
2020、123の92に4を →2020年、天皇(123)の国に死を
©きくちゆうき百 →百姓(おおみたから) →日本国民
ワニ →輪ニ →〇ニ →O(オー)ニ →オニ →鬼(神・古代天皇)
きくちゆうき → きく+きゆちう → 菊、宮中
25年前の事件と意図は同じ「日本死ね」です。進歩が全くありませんね
陰陽道では、直線・曲線を問わず、連続する線上には気が流れると考えます。そして、その流れた気が線上に気の壁、いわゆる結界(けっかい)を作ると見なします。この考え方を上記の分析図に当てはめると、皇居は北東から南までを最大5本の地下鉄線で塞がれており、そこには猛毒サリンの邪気が流れてますから、北東方面から届く御神気を、その強力な邪気による結界で遮断してしまったと読むことができるのです。
そして、この路線図で皇居の西側が大きく空いているのは、
皇室を西に追い込む
という意図であり、西とは仏教で「西方浄土」とも言うように死者の国があると考えられている方角ですから、皇室をそこに追い込むということはすなはち
皇族に死を
と読むことができるのです。
そして、どうして丸の内線池袋行が国会議事堂まで無理な走行を強行したのか、それは、引用記事中A氏の次の指摘がその理由を的確に表現しています。
また、最も多くの被害を出した日比谷線の中目黒行は、秋葉原駅で散布されたサリンを小伝馬町駅で乗客がホームに蹴り出したことで、被害が拡大した。そのため築地駅で運転が打ち切られていますが、これは“真犯人”にとっては想定外のことだったのではないでしょうか。本当ならばそのまま霞ケ関あたりまで列車を走らせる予定だったと考えるのが妥当です。
Aさん、その通りです。鬼門と裏鬼門からやってきた日比谷線が霞ヶ関で繋がった時、結界線が描かれこの呪術は完成するはずだったのです。しかし、それにしくじったことを知った"真犯人”は、予定通りに現場を通過させた池袋行の丸の内線を
急遽、日比谷線の代役としてもう一度走らせることにした
のです。何とか呪いを成就させるために。しかし、代役は所詮代役です。分析図を見る限り日比谷線の役割は大きく、それは同路線が他線を2度も横断し、皇居に最も接近する幾何学的構図から読み取れます。つまりこの呪術の中核だったのです。もしもこれが成功していたなら、あの事件の被害はどれほど酷くなっていたのか、この道の心得が多少ある者としてそう思わずにはいられません。
* * *
やはり呪術を操る集団が、地下鉄サリン事件の真犯人の中には居るようです。そして彼らはこれまで何もお咎めが無いままです。しかし、法が及ばない呪術の世界にはこの世界ならではの厳しい掟もあります。
呪術が見破られた時は確実に返される
ということです。この呪術の設計者や、これを推し進めた首謀者は、同事件で命を失った方々、重い障害を負った方々、この人たちが25年間積み重ねた無念をこれから一身に浴びることになります。今回は「お気の毒に」という言葉は掛けませんので、せいぜいご自身のされたことを思い返して心改めていただければと思います。
参考:地下鉄サリン事件と芸能界の闇の関係
・地下鉄サリン事件の暗号
三の年に記す
管理人 日月土