(真)日本の黒い霧

123便事件は世界の闇を照らす

呪詛を考える(2) 呪詛とエネルギー

 

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「呪詛」という漢字をよく見ると、「口」と「言」という文字が含まれています。ここからも、呪詛のなされる形態が、口より発せられた言葉によるものであること、少なくとも呪詛の主流が言葉によるものであることが窺い知れます。相手の言葉によって、感情が激しく動かされることは、誰でも日常的に体験していることでしす。褒められれば、喜びの感情、また、けなされれば「悲しみ」や「絶望」、そして、浴びせられる言葉が強ければその反発として「怒り」の感情が湧いてくるかもしれません。

 

「怒り」とは自己の正当性を否定されること、自身が抱く「恐怖」や「脅威」に対する抵抗から生み出される感情です。この恐怖心は、身体を通して相手に対する反撃行為に及ぶこともあれば、時にはより良い成果を生み出すためのバネ、動機ともなり得ます。この日常よくある出来事をフローチャートで表現すると

  侮蔑の言葉 → 心に抱く恐怖 → 反撃行為  (式1)

となります。もちろん、これは典型的なパターンを述べたもので、いつもそうなるとは限りません。このパターンに限ってその要素を見極めると

  言葉 → 心 → 行為  (式2)

と、影響される要素が移り変わっていくことが見て取れます。

 

ここで、結果として成される行為とは物理的現象であり、物の動きであるとも言い換えられます。物の動きに変化が起こる時、物理学的には力が働いた、大雑把に言えばエネルギーが加わったと表現することができます。

 

仮に、反撃行為の中身を「皿を壁に投げつけた」としましょう。そして、投げつけられたお皿は粉々になったとします。物理的には言葉を発するにもエネルギーが必要です。言葉に消費されたエネルギーは、時の経過に伴って、結果的にお皿を破壊してしまいました。つまり

  言葉を発するエネルギー(L) → 皿を破壊するエネルギー(H)  (式3)

となります。経験的には、言葉を出すエネルギー(L)よりも、皿を壊す方がエネルギー(H)の消費量が多いと考えられますので、等式を用いると

  L < H  (式4)

すると、その差分( D = H - L)はどこから生じたのでしょうか?

 

ここで、式2と式3を比較すると、心の要素こそが、表面上に出現するエネルギーを増幅していることがわかります。

  言葉(L) → 心(L+D) → 行為(H)  (式5)


賢明な読者様ならもうお気づきかもしれませんが、呪詛とは、対象相手の心理をエネルギー増幅装置として操り、言葉による最小のエネルギー(L)で、最大の効果(H)を生み出す技術の事を指します。もちろん、それが建設的目的に使用されるなら指導とか教育と呼ばれるべきなのでしょうが、例で示したように破壊目的に使用される場合は、呪詛的であると言ってよいと思われます。

以上のように、呪詛は人の心の働き、心理を巧みに利用します。その利用方法は言葉を用いるだけでなく、視覚的要素であったり、音であったりします。安倍晴明が使ったとされるセーマン(五芒星)などもその一つです。それらの使用ノウハウが集まり、知識体系として成立したものこそ、呪術なのです。

そして、100年前に心理学が誕生するはるか以前に、その知識体系は完成されており、古来より人心操作、ひいては社会の物理的変容に使用され続けていたのです。

 

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図1.左はセーマンこと五芒星。右はご存知、米国国防総省ペンタゴン(正五角形)。
呪術使用の典型ともいえるこの建築物が日本の陰陽師によって設計されたことは、現在でもほとんど知られていない。明治新政府の時代に陰陽道禁止令が出されたが、その時、多くの陰陽師が世界に出て行った。その傍証は落合莞爾氏の著書に記されている。そして、この事実にこそ、123便事件に現れた日本と米国との不可解な関係の意味が秘められている。また、近年話題になっている原爆の地上起爆説にも通ずるものがある。

 

 

善いこと言へば善くなるし、悪きこと思へば悪くなる道理分からんか。今の臣民口先ばかり。
(日月神示 上つ巻 第17帖より)

 

一の年の始りを前に
管理人 日月土

呪詛を考える(1) - 呪詛(じゅそ)とは何か

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このサイトでは、おそらく頻繁に「呪詛(じゅそ)」なる言葉が使われるかと思います。そこで、まず、呪詛とは何か、その様式や実効性などについて語ります。簡単に言って人を呪うことですが、そんなものは非科学的だと頭から否定される向きが大半なのでしょう。しかし、そんなお考えの方でも心療師が医療技術の一つとして、実際に催眠術を使うことまでは否定されないでしょうか。催眠術とは、人の無意識化の心理に働きかけ、その人をコントロールする技術と言ってよいかもしれません。

 

別の言葉で表現するなら、呪詛とは「悪意を持った洗脳」と言えるのではないでしょうか。現代でも、新興宗教団体による洗脳や、サブリミナル効果を利用したメディアによる洗脳などが話題になります。一番わかりやすのが、徹底的な繰り返しや反復学習によって反射的に一定の言動が発生するように人を変えてしまうことです。それを言ってしまえば、教育そのものが洗脳とも言える訳ですが、読み書きや計算、スポーツや楽器演奏など、社会的に不可欠なコミュニケーション力を養成したり、個人が持つ優れた能力を引き出すという面では、その効果は必ずしもマイナスばかりと言えません。ここに「悪意を持った」という断り書きを入れた理由があります。

 

では、「悪意」とは何かということになりますが、善悪の判断基準がそもそも人によって異なるので、一概に定義できるものではありません。そこで、ここでは悪意の基準を次のように定めます。

 ・他人の生命・生存を脅かすもの、心に恐怖または悲しみを生み出すもの

つまり、呪詛とは「人の生命・生存を脅かし、心に恐怖と悲しみを生み出す」ための洗脳行為と定義付けることができます。

 

例えば、「バカヤロー、死んでしまえ!」という言葉が発せられたとします。確かにひどい言葉であるとは思いますが、この言葉自体が果たして呪詛かどうかは微妙なところです。それは言葉の持つ強度が会話当事者の関係性と、その時発生した事実そのものに委ねれるからです。危険行為を冒した当事者に注意した場合と、知らない相手から突然吐かれるのでは、自ずと意味合いが変化するということです。後者の場合は、事情も分からず一方的に暴力的非難を浴びる訳ですから、断定できないまでも呪詛的であるとは言えるのではないでしょうか。

 

そのような、悪意が文意から容易に読み取れるケースよりも、次のような文面の方が実は呪詛的であると私は考えます。

・戦後最大級の超大型台風が接近中、来週上陸する可能性が大きい。

嘘は吐いてないとしても、「最大級」とか「超」、「上陸する可能性」は極めて主観的な言葉で、実は話者の考えを押し付けているとも受け取れます。受け取った側も、具体的な数量が示されていないため、話者よりも過剰に台風を危険と解釈してしまう可能性があります。注意喚起であり、安全のために結構なのではとも思われますが、気象情報は繰り返し何度も放送され、未来に対する漠然たる恐怖として視聴者の心理に刻まれ続けます。

 

何だか小難しくなってしまいましたが、要するに、普段耳にする言葉の中に、特にメディアの言葉の中に、知らず知らずに受け手の心理に影響を与えるフレーズがちりばめられていることにご注意ください。職業としての祈祷師や魔術師が暗躍した時代と比べて、今はテレビやインターネットなどがそれにとって代わり、心を恐怖で満たす「魔法の言葉」をばら撒いています。

 

一の年の始りを前に

管理人 日月土

ブログ開設に当たって

 

このブログは、私がこれまで管理してきたブログ「(新)日本の黒い霧」の補足サイトとして関連記事を提供していきます。

 

(新)サイトの方では、現代物理学の高等教育の履修者として、極力、一般的な科学知識・理数系の思考を以って事象の分析に当たっておりましたが、読者様がすでにお気づきのように、取り扱い範囲が通常の知識体系を大きく逸脱するようになってきました。

 

そこで、複雑化した現状に対処するために、一般的知識体系の逸脱範囲については、本サイト「(真)日本の黒い霧」で解説と説明を加えることとし、読者の皆様のご理解がよりスムーズになるよう努めて参ります。

 

なお、本ブログにおける私(日月土)の立場は、これまでの一学士の立場に加えて、二千年以上に亘る陰陽師家系の一員として、その知識と理論を展開していく所存です。その体系は従来の偏狭な学識で扱いきれるものでなく、内容は、いわゆるトンデモ科学に属するものと思われるかもしれません。しかし、そのような世間から隠された古来からの学識こそが、この世の動静を左右し、一部の同業者によって支配のツールとして乱用されてる現状を、もはや看過できないと思うに至り、誤解を受けることを恐れず、当分野における知識を公表していくことに致します。

 

このような話を受入れらないと思われる方は、初めから読まれなくて結構です。おそらく精神衛生上たいへんよろしくないでしょうから。このブログは、今まで教わった知識が何か欠けていると思われる方々のために書かれています。しかし、読み進める方は次の視点を常に維持し続けてください。

 「ここに書かれていることは本当なのかと疑い、自ら検証すること

これから、証明も確認もできないことを書いていきますので(もちろん説明は極力丁寧に行いますが)、それを鵜呑みにせず、文意を充分咀嚼した上で、自ら確認する努力を怠らないでください。私も神ではありませんから、間違えることも否定しません。むしろ、私の言説をしっかりと検証される読者様に真実への光明を見出していただきたいと思っています。

 

なお、このブログには、霊的処置が施されています。通常は問題ありませんが、読まれる方のお心がけ次第では、不利益になることも生じるかと思います。いきなり「霊」なる言葉を使ってしまいましたが、霊とは何かについても、おいおい解説していきます。どうぞご期待ください。

 

コメントについて [2017/7/8 追記]

コメントは承認制としておりますが、基本的に開示は致しません。ご批判を含め読者全体にとって有益な情報が示されていると判断された場合のみ、開示を検討します。

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一の年の始りを前に

管理人 日月土