先週、知人の薦めもあったことから、現在上映中の映画「陰陽師0」を見てきました。「陰陽師」は私が扱うトピックの一つなのですが、こんな映画が上映されていることを知人に言われるまで知らなかったのです。
陰陽師0 公式ページ:https://wwws.warnerbros.co.jp/onmyoji0/
まず、映画の感想を先に述べますが、フィクションの陰陽師なんぞ何が面白いのかとあまり期待していなかったのですが、豈図らんや、これが結構面白かったのです。
何より、物語として起承転結が整っていたのが良かったのではないかと思います。ちょっとCG頼りだったきらいはあり、人によっては受け付けない方もいらっしゃるでしょうが、超自然現象を映像表現するにはそれも仕方なく、総じて許容範囲だったと言えます。
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さて、この映画の中に出て来る次のセリフには「うんうん」と私も納得しました。
”事実は一つ、真実は人の数だけ存在する”
そして、
”呪術とは暗示・催眠術である”
これは、このブログの「呪詛」ジャンルで、そもそも「呪詛」とは何なのかとブログ開始当初に述べている事と同じなのです。
関連記事:
・呪詛を考える(1) - 呪詛(じゅそ)とは何か
・呪詛を考える(2) - 呪詛とエネルギー
よく「百聞は一見に如かず」と言いますが、私たちが信頼する視覚ですら、実はあまり当てにならないことは、次の図を見れば良く分かります。
逆さまの世界(講演資料から)
光学的には、私たちの目は事物を逆さまの映像として捉えており、この視覚情報を正位置のように感覚できるのは
情報処理後の結果
を事実として受け取っているからなのです。
ここに、私たちが世界を正確に観測しているのかという根本的な問題が横たわっているのです。視覚にしろ聴覚・嗅覚・触覚にしろ、私たちが実感している世界とは
情報処理後の世界
でしかないということなのです。
陰陽師が扱う「呪術」とは、まさにこの「情報処理」の段階に介入することでしかありません。ここに介入することで、例えば、見えないものが見える、見えるものが見えなくなるようなことが実際に起こるのです。
この陰陽師のテクニックを集団に向けて実行するのがまさに「大衆洗脳」なのです。現在では、テレビ、ラジオ、新聞は勿論、ネットやVRなど、五感を刺激する機械的装置に溢れています。
ある事実が存在したとして、皆が見えなくなれば「その事実はこの世に存在しない」という真実になり、事実は存在しないにも拘わらず皆が視覚を感じれば「その事実はこの世に存在する」という真実になってしまうのです。
ですから、メディアが異常に発達した現代においては、事実と真実を擦り合わせるには、五感を狂わす攪乱情報を如何に排除するかが重要となってきます。このブログで扱う「呪詛」・「アニメ・芸能」ジャンルの記事とは、まさにそれを扱っていると言ってよいかもしれません。
以下は、この世界で私たちが"見せられている"嘘、あるいは幻想の一部を抜き出したものです。
嘘で作られた世界観(講演資料から)
いずれも「黒い霧」ブログの中で取り扱っているものですが、これだけの「嘘」が成立しながら世界が何とか回っているのは、かなり以前から、計画的かつ緻密に情報介入されていたとしか考えられません。
これだけのものを実行するためには、陰陽道の奥義を知るかなり大規模な「洗脳機関」が、長い時間を掛けて準備してきたと考えるのが順当です。
関連記事:陰陽師とは何者か - まもなく展示終了
私がブログを始めるきっかけとなった「123便事件」とは、その完璧であったはずの大衆洗脳社会に起きた小さな綻びであったと私は捉えています。
しかし、その綻びこそが、この世の背後にある大きな仕組みを覗き見るための、けっして塞がることのない穴として今に残ったことをここで宣言しても良いでしょう。
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以上、何だか話が脱線してしまいまいたが、この陰陽道的世界観には大きく欠けているものが一点あることにお気付きでしょうか?それこそが、この123便という綻びを生んだ一番の要因と見られるのですが、まずはこの映画をご覧になって、その後にでもそれについて考えてみてくだされば幸いです。
神代四の年に記す
管理人 日月土