今回は久々にアニメの話題です。
知人から、この10月に始まったアニメの設定がちょっとアレなんじゃないかと声が掛かり、VOD系メディアで第1話を鑑賞しました。そのアニメのタイトルは
神様になった日
です。
画像1:アニメ「神様になった日」の主人公「佐藤ひな」
役名が、成神 陽太(なるかみ ようた)、伊座並 杏子(いざなみ きょうこ)、国宝 阿修羅(こくほう あしゅら)等々、神仏の世界を多少知る人ならどこかで聞いたような名前がずらずらと出てきます。
成神 陽太 > 太陽神と成る(逆読み) > 天照大御神
伊座並 杏子 > 伊邪那美命
国宝 阿修羅 > 阿修羅
神様をモチーフにしたファンタジーなんだから、そんなに目くじらを立てなくて良いじゃないかと思われるかもしれませんが、もしも、西欧諸国で「イエス・キリスト」、中東諸国で「アラー」の神名を出し、ドジっ娘の少女アニメキャラから下に見られたような扱いを受けたら、それはもう大変なことになりますよ。
日本人がいくら宗教観に疎いとは言え、これはいくらなんでも無いだろうという印象を最初に受けます。
それでありながら、主人公であり全能の神という設定の少女の名が、「佐藤ひな」というなんとも平凡な名前であることに大きなギャップを感じる方も多い事でしょう。
実はこれ、昨年の大ヒットアニメ「天気の子」に被っているのです。天気の子の主人公の少女の名が「陽菜(ひな)」であったことを覚えている読者さんは多いかと思います。そして、天気の子では、寂れた神社や龍神が現れたりと、宗教観丸出しのファンタジーであったことも記憶に新しいと思います。
画像2:映画「天気の子」の主人公「陽菜」
ですから、この新作アニメは「天気の子」とセットで視ないと、設定の真意が分からないようになっているのです。書下ろしということで、ストーリーはこれから進展するのでしょうが、これから何を言い出すのか、あらかた予想が付くとも言えるのです。
さて、その予想ですが、それを調べるには、二つの作品に共通したモチーフが隠れていないか、それを見つけるのが早いです。実は画像1のコピーをよく読むとそれが見えてくるのです。
世界は終焉へと動き出した
これは聖書に記された世界の終わりを意識しているのは明らかです。次に天気の子の中に、それを意識したモチーフが含まれているかを調べます。するとどうでしょう、あるじゃないですか!
画像3:映画「天気の子」から、雲の上に描かれた陸地
この絵が、世界の終わりとなんの関係があるのだと思われるかもしれませんが、実は聖書解釈においては
世界の終焉(患難)と携挙はセット
と考えられているのです。携挙とは神の裁きを経て許された人々がイエス・キリストにより空中に引き上げられ、新たな身体と住む土地を与えられるというものです。画像3にはその新たな土地(陸地)が緑に覆われた大陸として雲の上にはっきりと描かれているのです。ですから、「天気の子」の隠れたモチーフとは「神になった日」と同様に、
世界の終焉
なのです。
これらの話を聖書的ファンタジーとしか受け取れない読者さんが多いかと思いますが、では、その取るに足らない空想を、アニメクリエーターたちはどうしてここまで作品のストーリーや描写に取り込もうとするのか、それもこっそりと隠すように。それをよく考えて頂きたいのです。
その時は確実に迫っている
私はそう解釈せざるを得ないし、それを知る人々が良かれ悪しかれ何か必死にシグナルを発信し続けている、そうとしか考えられないのです。
こんな時、人がまずなすべき事とは、神の名を弄び茶化すことではなく、神に許しを乞い与えられた今の命に感謝するべきであると、私は思うのです。願わくは、業火に見舞われたどこぞのアニメ制作会社のようになる前に、それに気付いて頂きたいのです。
コラム:核兵器なき世界は常識だった?
「神になった日」の第1話でちょっと気になるセリフのやり取りがありました。
陽太: (世界の終わりについて)核の発射ボタンを押すとか?
ひな: そんなものが本当に有ると思っているのか?
ご存知のように、
核兵器や核分裂などこの世に存在しない
というのが私の主張です。詳しくは(新)ブログの当該記事を読んで頂きたいのですが、もしかしてこのアニメの原作者さんって私の読者さんなのか?とついつい思ったのでここに書き残して置きます。
ひょっとしたら、知る人にとっては当たり前のことなのかもしれませんね。
懲らしめの日が来れば
エフライムは廃虚と化す。確かに起こることを
わたしはイスラエルの諸部族に教えた。
新共同訳聖書 ホセア書 第5章9節
神代一の年に記す
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