(真)日本の黒い霧

123便事件は世界の闇を照らす

火球はまた現れる(再解釈)

ひと月前になってしまいましたが、前回の記事「火球がはまた現れる」の聖書解釈、黙示録によるものについて、知人から次のような指摘がありました。

「ラッパ」は“神の吹く”ものと“御使いの吹くもの”とでは意味が違います。記事で使われていた聖句の引用は、「テサロニケ信徒への手紙」に記述されている、"神の吹く"ラッパではないでしょうか?

ちなみに、指摘された該当箇所には次のように記述されています。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

新共同訳聖書 テサロニケ信徒への手紙 第4章16,17節

上記の聖句に出てくるラッパは明らかに"神のラッパ"であり、黙示録のそれは"御使いのラッパ”です。

神のラッパは

 民を集めるために鳴らされるもの

と解釈されるものであり、関東に出現した火球を啓示として捉えるならば、ご指摘通りに"神のラッパ"と解釈するべきであることに気付きました。よって、前回用いた引用を今回のものに差し替えます。

聖書を読まれない読者さんには"?"かもしれませんが、実際に"火球"という現象が私たちの目の前で起きています。そんなのは科学的でないと思われるかもしれませんが、それを言うなら、2回続けて起きた事はどう説明されるのでしょうか?もしも、その答が「たまたま」だと言うなら、それこそが非科学的ではありませんか?

私は未来のことは分かりませんが、啓示は啓示としてその深い意味を無視できないと考えています。漠然とした物言いで申し訳ありませんが、コロナを含め、最近の一連の現象を分析すると

 時は迫っている

と解釈せざるを得ません。これからは、その根拠を示すことが中心になるでしょう。皆さんに準備していただくために。


追記:そういえば、日月神示にも上記聖句に近いことが書いてありましたね。

一日一日みことの世となるぞ。神のこと言うよりみことないぞ。物言うなよ。みこと言うのぞ。みこと神だぞ。道ぞ。アぞ。世変わるぞ。何もかもはげしく引き上げぞ。

日月神示 日月の巻 第29帖

何かと意味不明な日月神示ですが、最近になって、聖書と併せ読むとその意味がより鮮明になることに気付きました。文中にも「イスラの十二の流れの源泉わかる時来たぞ。(雨の巻 第1帖)」とあるように、イスラエルに関する知見は別のソースにあることが間接的に示されています。


神代一の年に記す
管理人 日月土