(真)日本の黒い霧

123便事件は世界の闇を照らす

川崎殺傷事件の考察

先月末、トランプ米国大統領が日本を離れようという5月28日、その悲しい事件が神奈川県川崎市で起きました。小学生児童を含む二人がお亡くなりになられ、重傷を負われた方も複数、そして犯人そのものが自害するという痛ましいものでした。

亡くなられたお二人のご冥福と、傷を負われた方々の一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

 * * *

このような痛ましい事件について、どこまで私見を述べてよいのか、10年間、123便の真相を追い続けた今でも考えさせられることがあります。人の触れられたくない部分に触るなという方もいれば、本当のことを知らなければ死ぬに死ねないという方もいます。

この場合私はこう考えます。同じことが繰り返されないためには何をしたらよいのだろう、悲劇の拡散を防ぐためにはどうしたらよいだろうかと。

以下はあくまでも私見ですし、これが絶対だと言うつもりもありません。こういう分析もあるのだと思っていただければそれでけっこうです。ただ、興味本位で行っている訳ではないことだけはご理解いただきたいと思います。事の本質を私なりにこう見たと言う記録だと思ってください。


■暗号分析に現れる御巣鷹山

いつものように、報道の文言に現れるキーワードから、報道が直接文面で伝えられない事実、関係者に向けた秘密通信が隠されていないかどうかを調べます。

関連ブログ(新)日本の黒い霧の記事「トランプ訪日、米軍機が佐久と沼津に現れた」でも川崎の事件に少し触れていますが、そこでは、「川崎市多摩区登戸」から「川の先にある登戸」と読み替えて、荒川中流部にある埼玉県鴻巣市登戸を比定しました。

埼玉県鴻巣市登戸の中心部は、ほぼ北緯36.0度です。そしてこの36.0度の線を西に辿ると

 御巣鷹の尾根昇魂の碑

を通過することが分かります。ご存知のように、私は123便事件を専門に取り扱っているため、どうしてもその関連に目が留まってしまうというのがあるのかもしれません。ですから、偶然の要素というのは否定しません。

さて、ここで他のキーワードを事件報道から拾い出します。それは、亡くなられた女児が通われていた「カリタス小学校」と、やはり亡くなられた「小山智史」さんというお名前です。

これを次の音に分解します

 カ・リ・タ・ス (+小学校)
 オ・ヤ・マ (+智史)

この「カリタスオヤマ」をアナグラムで並べ替えると

 オスタカヤマ + リ → 御巣鷹山 + リ

となります。複数のアプローチで同じ結論が出たとき、これが暗号のキーワードである可能性はかなり高くなります。もちろん、先入観がそうさせてるというご意見はあるでしょう。私も、確証を得るには3つ4つの合致が必要だとは思っています。実は被害者と犯人の両年齢が示す数字からも123という数字が導き出されるのですが、それを説明するには、123便事件に関する背景をもう少し詳しく説明する必要があり、それはまだ記事にしていないので、ここでは省略することにします。

さて、「御巣鷹山」が隠されたキーワードの一つだとした時、「リ」の取り方次第で解釈が変わってきます。最終的に、これには、おそらく「離」と「裏」の二つ意味のどちらか、あるいは両方の意味を掛けていると考えるのが妥当のようです。

 (1)「離」:123便事件をこれ以上表に出すな
 (2)「裏」: 123便事件には隠された真実がある


まさか私個人に向けてのメッセージとは思いませんが、動画配信など、最近は新たなメディアを通して同事件の闇を投げかけたりする方が増えているようですし(あくまでも所感です)、また青山透子さんのように、元日航職員の方が、書籍を発表し政府公式の事故調査結果に疑問を呈するなど、123便事件への関心が、事件から34年経った現在でも根強く残っていることを窺わせます。

このメッセージを「死傷」という事件に乗せてきたと言うことは、これは真相追求者に対する明らかな脅しでしょう。その脅しの対象とは、私のような一個人活動家よりも、大手マスコミや出版社などの社会的影響力の大きい団体へ向けた要素が多いと思われます。

どんな理由があれ、人の死を以って脅しをかけるというのは、二重に罪深いことであると思わずにいられません。



陰陽道的分析に現れる過去の因縁と仕掛け

私が、多少陰陽道を齧る者であることは先にお知らせしておりますが、次はその立場からの分析です。正直、陰陽道のロジックと現代科学のロジックは殆んど噛み合わないので、妙な誤解を避けるため、言葉での説明は最小限とします。敢えて考え方の核心だけを説明するなら、あらゆる事象は人の心の働きにより起こるものであり、その心理は、古い記憶、形状、言葉などにより蓄積的に形成される。そして、陰陽道はその心理形成プロセスを観察することによって、この世の事象を分析し、時には操るというものです。

これでは、物心二元を原則とする現代科学と相反することは火を見るより明らかです。また、宗教ですら、心象世界の形成を促す一つの技術体系と認識します。つまり、科学は一つの宗教であり、言い換えれば宗教は心理に特化した科学体系の一つであるとの認識です。

一つの出来事には、心理を含め現れに至る何重にも積み重ねられた背景がある。そこを分析してみましたが、まだまだ見落としは多いでしょう。何はさておき、以下に事件の分析図を掲載します。どう受け取るかは読者さん各自のご判断にお任せしたいと思います。

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図:登戸駅現場周辺 (過去の因縁と地形)
※最初の図で事件現場の位置を間違ってるとのご指摘がありました。修正により気脈の動線が繋がり、この仕掛けの中核が図中の◎の場所であることが確定しました。ありがとうございます(6/9)。

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図:登戸駅周辺 (人・物の移動は気の流れを生む)

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図:今回使用した言霊 (秘術などではなく土地の安寧をウタにしただけです)
 

以上から言えるのは、この道の専門家が事件に向けて周到な準備を行ってきた形跡があるということです。同じ道の者としてこれは看過できませんので、気付いた点については現地でその仕掛けを全て外しておきました。

私が何かする訳ではありませんが、天の摂理は当該関係者に行為の代償を必ず求めてきます、それ相応の御覚悟をなさってください。この道ではそれを”返し矢”と呼びます。



■人を責めることでは解決しない

日本には法があり、裁判があり、そして、そこでのみ裁くことが認められ、私刑は許されていません。裁判が行われるのは何が真実かを明らかにしないと、最後まで人を裁くことなど出来ないからです。しかし、SNSが普及した現在、言葉による私刑が世に溢れているように感じます。それって、己の正義のために人を傷つけてしまう世の犯罪者と何が違うのでしょうか?

聖書の説話の中で、姦淫の罪を犯した女性に石を撃つという群集に向かって、イエスは「心に一切の姦淫がない清き者が石を撃て」と言葉を発せられました。果たして、石を撃てるものはおらず、女性は許されました。

私も、時々言葉が荒くなり、もしかしたらその言葉で人を傷つけてきたかもしれません。いや、傷つけてきたでしょう。その意味では無実とは言えません。それが人の避け得ない性であるなら、人は誰かを責めるより、真実を深く知り、どう許しどう解決したらよいのか、そう考えて生きるべきなのではないでしょうか?なかなか難しいことではありますが、それを目指すしかないと思うのです。



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