明日は8月12日、言わずと知れた日本航空123便遭難の日となります。
あれから35年が経とうというのに、今年はコロナウィルス祭なんていう奇妙な世界イベントは発生するし、最近の記事をご覧になれば分かるように、ここに来て「123」がやたらメディアに露出するようになりました。
基本的に123便は(新)ブログで扱うようにしており、今回は(真)ブログらしく、アニメの話題を絡めたいと思います。
取り上げるのは、タイトルよろしく昨年9月に公開された「HELLO WORLD」です。公開から1年近く経過し、Amazon他でもレンタル視聴できるようなので、まだ視ていないという方はまず、お盆休みにでもご覧になってからこちらの記事をお読みください。
昨年は新海監督の「天気の子」も公開されましたが、Amazonのコメント欄の中にはHELLO WORLDの方が断然面白いという声もありました。実は私もそう思ってます。
画像1:HELLO WORLD
このアニメの分析はやはり昨年の9月に「HELLO WORLD の暗号」で試みていますが、作品を劇場で1回見ただけのものなので、今振り返ると少々荒っぽい感じが否めません。今回は細かい文言に囚われず、この作品の骨格について考察してみたいと思います。
まず、なぜ今回またHELLO WORLDを取り上げたかというと、この作品の主となる時代設定が、今年、2020年だからです。そして、お約束の様に作品中に123便に関する符号を入れてきているというのもあります。
ここから先はネタバレ防止のため、また、同作品を鑑賞していないとそもそも意味が理解できないでしょうから、記述を伏せます。作品をご覧になった方はどうぞ開いて読んでみてください。
■月からの使者「ヤタガラス」 このアニメ映画を鑑賞された方は、最後のあのシーンは何だったんだろう?と思われた方も多かったのではないかと思います。そのラストシーンとはこれです。 日本に限らず、中国・朝鮮にも三足鳥の伝説があり、その伝説の中では、三足鳥は太陽に住むとされています。つまり太陽の化身としての意味を持たされているのですが、ここで日本神話との意味を重ね合わすと そうなのです。ヤタガラスは月からの使者であり、このアニメのラストシーンはその解釈が正当であることを裏付けているのです。それと同時に、真の主人公のホームランドでこの物語を締め括ったと捉えることができるのです。 さて、ここでアニメの舞台設定を再度確認してみましょう。 世界は過去(アルテラ内の情報世界)も未来(アルテラを管理する情報世界)も、みな月の使者(八咫烏)によって構築され、世界に歪みが生じる都度新しい世界(HELLO WORLD)がリカバリー(再構築)されているのだ。ナオミよ月に来るのだ、そこにはお前の愛しい瑠璃がおり、そこでお前は神の力を得られるだろう 当然ながら、この「ナオミ」と「瑠璃」にはこの世に実在する人物がそれぞれ複数想定されているはずで、このメッセージは彼らに向けられたものであったのでしょう。そして、このメッセージと35年前の123便事件を結び付けるその意図とは続きを読む
画像2:HELLO WORLD のラストシーン
最終的に大人になったナオミと瑠璃が再会を果たすと言うハッピーエンドなのですが、それが「何で月面なのよ?」と思われた方は非常に多かったのではないでしょうか。
それが月面である理由はこれしかありません
画像3:ヤタガラス
そう、表向きの主人公はナオミと瑠璃であることは間違いないのですが、この物語の中で二人の運命を導き最終的に決定付けているのは、このヤタガラス(八咫烏)なのです。いわば、
隠れた主人公
とも言える立ち位置を与えられている訳です。
さて、八咫烏と言えば、私は過去記事「月面着陸と八咫烏」で次の様に書いています。
太陽の化身である三足鳥(八咫烏)
太陽の神である天照大神
と、「天照大神から遣わされた八咫烏」という日本書紀の記述と「太陽」を通して整合するのです。同時に、日本神話の中では次のような記述もあります。
"鏡に写った自身の姿を覗き見た天照大神は天手力男命(アメノタヂカラノオ)によって岩戸から連れ出された"
有名な岩戸開きのシーンですが、実はこの岩戸開きは
騙した岩戸開き
とも呼ばれ、「太陽」は未だ現れていないと解釈することもできるのです。それでは毎日見ている太陽はいったい何なのだ?ということになるのですが、太陽の様に輝く可能性を秘めた天体とは「月」としか考えられません。すると今度は、現在見ている月は何なのだとなるのですが、これが活動を停止したままの本来の「太陽」であると解釈すればとりあえず辻褄が合います。つまり
現在の太陽=本来の月 (騙した太陽)
現在の月=本来の太陽 (騙した月)
と役割が逆転しているのだと読むことができます。ここから、八咫烏が象徴する太陽とは、騙した太陽、すなわち「本来の月」の事なのではないかと、更に読み解けるのです。あくまでも神話的アナロジーにおける考察なのですが、以上から、
八咫烏の本来の姿は月の化身
であると導くことができます。
■世界は我々(八咫烏)が運営している
(1) 2020年の世界=アルテラ内部の情報世界=過去
(2) 2027年の世界=アルテラ外部の情報世界=未来
(3) 月の世界=地上を俯瞰する世界=過去と未来への行き来
以上の様に3つの異なる世界が登場する訳です。
ここで、(1)(2)とは、(1)から(2)へと時間の刻みと共に進展する世界、地球の自転が1日を刻む私たちが認識する世界であると捉えることができます。(2)から(1)へ逆行したカタガキナオミ(先生の方)はかなり特殊な例であると言えます。
ここで気を付けたいのは、(1)と(2)の世界が同時併存しているということ、つまり
過去と未来は同時存在的なもの
であるということです。それが可能なのは、どちらの世界も情報空間であるから。動画データが過去も未来も包括している状態であり、適切なプレーヤーがあれば、どの時間からも再生できると考えれば分かり易いでしょう。
ここで問題なのは、私たちが住んでいる世界は、物理的実体のある世界なのか、あるいはただの情報として私たちの心が認識しているだけの世界なのか?という問いです。これについてはナオミ(先生の方)が作中でこう述べています。
私たちはその違いを認識できない
と。このテーマは名作SF映画「マトリックス」シリーズでも確か語られていましたね。
画像4:映画「マトリックス・リローデッド」より
ここが仮想世界か現実世界なのか、その中に居る人間には識別できない
それを知覚できるのはこの世界のアーキテクト(設計管理者)だけ
そして、その同時存在的な時間の合間を自由に行き来するのが、月の使者「ヤタガラス」なのです。ヤタガラス君の卓越した時間同調・調整能力、簡単に言って物事の因果関係を辻褄合わせする能力によって、ナオミは過去と未来を彷徨い続ける、言わば精神のループ状態(昏睡状態)から救出されることになるのです。
これはなかなか凄いことをヤタガラス君、いや八咫烏さんたちは宣言してますね。素直にその主張を汲み取るなら
我々(八咫烏)は時を駆けて世界を調整するのだ
と。ここで言う調整とは、千古博士のセリフをもじれば
リカバリー(世界の再構築)
と言い換えることができます。
以上の考察から、このアニメ映画に隠されたメッセージを私はこう解釈しました。
123便の123とは世界のリカバリーの始まり
であり、123便の破壊は世界再構築の始まり、つまり今の世界を一旦更地にするための、破壊活動開始の狼煙であったと考えられるのです。おそらくその狼煙に続いて、現実には存在するはずのない「核兵器」に対する人類の恐怖が、世界破壊のエネルギーとして最大限に利用される予定だったのでしょう。
画像5:映画で表現されたリカバリーされる世界のイメージ
123便事件より前、1970年代には「ドラえもん」や「火の鳥」など、1980年代に入っては、「時をかける少女」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など、過去と未来の行き来をテーマとしたアニメや映画作品が次々と作られましたが、これが、(3)の時を行き来する集団、八咫烏が仕掛けたメディア戦略であるとすれば、極めて納得できるのです。
「時を移動する?そんなのSFだよ」という笑い声が聞こえてきそうですが、そう思われる方は(新)ブログ記事「35年後の出現」をもう一度読んでいただきたいと思います。
私は、彼らこそがブラックテクノロジーの継承者であり、私たちが想像も及ばない哲学とテクノロジーを使って時空間をも操作し、この世の再構築作業を本気で始めようとしているのだと考えるのです。
今年は2020年。1985年に一度失敗した計画が再び動き出すかもしれません。しかし、私は何も心配していないことを、読者の皆さんにはお伝えしておきます。
何故なら、彼らのテクノロジーとは結局のところ模倣と繰り返しの領域を離れておらず、例えるなら、先例が何もない所では足元にある野草の葉っぱすら作り出せない未熟なものだからです。
要するに、ブラックテクノロジーが何であろうが
「神の創造」の御力には遥かに及ばない
ことが分かっているからなのです。
三の年に記す
管理人 日月土