(真)日本の黒い霧

123便事件は世界の闇を照らす

歴史を隠したい福岡

先月末、(神)ブログ記事「再び天孫降臨の地へ(2)」では、あの有名な「漢倭奴国王」の金印発見の由来について、博多湾沖にある志賀島で発見されたという伝承がそもそも捏造されたものではないか?という疑いを、現地の神社に残る古伝を元に解説しています。

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画像:問題の金印(福岡市発物館)

そして、この記事に対応した(神)ブログメルマガ41号では、その隠蔽工作に現地の黒田藩だけでなく、当時(江戸時代)の京都朝廷が積極的に関与した可能性について論じています。

この話題に関連して、福岡出身の知人から次の様な体験談を寄せられましたので、それを紹介したいと思います。

J区(福岡市内のある沿岸地域)の古老が若かりし頃、郷土史研究で、ナの国の調査(ナは「主」の古語)でさまざまな出土品等を、当時の九大(九州大学)の教授が参考にさせてくれと乞うてきたそうです。

最初は、教授も勉強会やフィールドワークにも謙虚に参加してきていて、邪馬台国論争における近畿説などは有り得ないことを物証ベースで進めようということになったそうです。

そこで、沖ノ島(玄界灘の孤島)出土と同じタイプの金の指輪、冠等のかなりの量の出土品他を、九州説実証の参考にしてくれと、その教授に貸したそうです。

後日、その教授は確かに古代史の論文を出したけど、内容は全くミスリードのような内容で、更に物証は他の研究機関に渡したと言います。

もちろん揉めてしまうのですが、教授は面談や連絡にも出ない、徹底して避けるので埒が開かず、いよいよ九大にまで乗り込んだそうです。

それで、何であんなことをしたんだ、物証を返せ、などなど詰め寄ったけど、ダンマリでただただ頭を下げて一言も発さず、ということがあったそうです。

私は、日本書紀古事記など、基本的に古代史書と呼ばれるものはどれも偽書であろうという見方をしています。それは、史書がその時の権力によって好き勝手に書き換えられるのは当たり前ですし、歴史家が世の中の全体像を捉えることや、それを正確に記述することなど、そもそも物理的に不可能なことですから、本人がどんなに正直に歴史を綴っているつもりでも、嘘や間違いがそこに入り込むのは避けられないと考えるからです。

しかし、それでも救いがあるのが、当時の歴史家たちは、記述に細工をすることで、権力の介入や立場による価値観の違いに依らない正確な史実を何とか伝えようとした痕跡も見られることです。そもそも、似たような史実を日本書紀古事記に分けて書き残したこと自体、その意図の表れとも捉えることができます。

ですから、古墳や出土品など物証を通して、記述を一つ一つ検証していくのが日本古代史の解明上欠かせないプロセスなのですが、その出土品まで都合よく隠されてしまう、しかも隠す主体が国立の研究機関だというのは、日本人としてなんとも情けない話としか言いようがありません。

私の見立てでは、福岡と言う街は、日本の成立史を知る上で重要な証拠に溢れています。つまり、今でもこの地で証拠隠しが行われるのは、

 現在の為政者にとって不都合な歴史

がここに眠っているからでしょう。その証左になるかどうか分かりませんが、この10月に福岡の調査取材に出向いた私に対しても、当局ヘリコプターによる上空旋回や、超低空飛行による急接近など、監視行動とも嫌がらせとも取れるお出迎えを受けました。その顛末についてもメルマガでは詳細な説明を書いています。

日本の歴史のどこかで為政者が入れ替わった、これは私に限らず歴史研究家の間でよく指摘されることですが、それが事実であるとすれば、このような当局のリアクションは極めて良く理解できます。

私が調査を続ける1985年の123便事件も、その発端が古代期に起きた混乱であり、その長きに亘る対立と確執の延長上に起きたものであると考えた時、初めて同事件の本質が見えてくるのです。

どうやら、日本という国が「平和な単一民族国家」であるというのは全くの幻想であり、その実体は古代から現在に至るまで、内乱と隠蔽と呪詛に縛られ続けてきた「呪われた国」であったのではないか、私はそう考えるのです。

 * * *

そう言えば、直近の記事「モールの灯は絶やさない」の話題も福岡の地下施設(*)でした。歴史に地下開発に、本当に福岡の関係者は隠すことが多くて大変だなと思わず感心してしまいます。
*地下施設:宣伝のようになってしまいますが、メルマガでは地下施設潜入者の証言も掲載しています。

ここまで書いたついでにもう一つ付け加えるなら、

 福岡は悪魔的象徴の宝庫

であることがあげられます。それらの象徴、シンボル・モニュメント類を集めただけで、おそらく立派な写真集が出来てしまうことでしょう。私も、古代呪術の研究をする上で、福岡の呪術掛かった街造りを大いに参考にしています。その意味ではあまりここを悪くは言えないのですが・・

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画像:福岡タワー 
   男性器を象徴するオベリスクでもある

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画像:香椎浜の公園に置かれた石(10月20日現地にて撮影)
   見る人が見ればこれが封印術の為に置かれたものだとすぐ分かる(解除済)

昨年、このブログで「悪魔タウンの地上絵」という記事を、地名を伏せて掲載させて頂きましたが、もうお分かりのように、私が言う悪魔タウンとは福岡市のことであり、そう呼ぶにはこのような事情があったからです。

食事も美味しく、親切な人も多い福岡が私は好きなのですが、それだけに、悪魔の都とはなって欲しくありません。おそらく古代そうであったように、京都や奈良よりも古く、日本の中心であった都に再び蘇って欲しいと心から願っているのです。



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