(真)日本の黒い霧

123便事件は世界の闇を照らす

豆撒きはSDGsに反しますよ

本日は旧暦の1月3日丁亥(ひのとい)。一般には節分と言われていますが、正確には明日4日戊子(つちのえね)の午前5時51分が立春の節入りと定められています。

節分と言えば「鬼は外、福は内」の豆撒きなのですが、福はともかく「鬼は外」が古い時代に政治的に始められた呪詛の一つであり、本来の日本(にほん)の姿とはかけ離れていることを、これまで次の記事でご紹介しています。

 ・今年も豆まきで日本を呪いますか? 
 ・ニッポン人だけが豆まきを祝う 

さて、私たちはどうして鬼に豆を投げつけるのでしょう?

 「悪い奴だから」「乱暴者だから」

と、色々答は返ってきそうですが、実際に鬼に狼藉を働かれたなどという人が今も昔もいたのでしょうか?

日本の古い伝承には桃太郎の鬼退治や、大江山酒呑童子など、悪行を働く鬼に関するものが多く見られますが、果たしてそれらは実際にあったことなのでしょうか?

おそらくそう思う方は多くないと思いますが、それらも結局、豆撒きと同様に

 特定の個人・集団を貶めるためのプロパガンダ

だったとは考えられないでしょうか?

そして、頭に角があることを以って鬼の象徴とし、「有角=鬼=悪い存在」というイメージが長年の習慣を通して繰り返し擦り込まれてきたとは考えられないでしょうか?

つまり、誰も実害を受けていないのに、日本の伝統行事で皆やってるから、頭に角があるから、鬼だから、悪い奴に違いないから、そんな奴はやっつけてしまえと、罪状を吟味することなく無条件に罪人扱いし攻撃を加えているのです。

これって、本当に平和と調和を愛する日本(にほん)的発想と言えるのでしょうか?もしかしたら、それは外国由来の日本(ニッポン=外国)的発想なのかもしれませんよ。

鬼を無条件に悪者とし、殺しまくる物語としては、一昨年、コロコロ病で外出が憚られていた最中、どういう訳か国内映画史上最高益をあげたあの映画がありましたよね。

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画像:ご存知アレ。「無限(∞)」のキーワードに注意。

なんでこんな野蛮な映画が大ヒットしたのだろう?と首を傾げる人も多いかと思いますが、コロコロ病の感染者数よろしく興業実績などという数字はいくらでもいじれるので、そこを気にしてもしょうがありません。

気にするべきは

 鬼を貶める呪いが現在まで続いている

という事実なのです。


さて、この国の鬼に対する異常なまでの呪いの念は次の写真にも表れています。

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画像:八郎潟は鬼の横顔

これが偶然でないことは次の画像で分かります。秋田県と言えば誰もが想像する、あの鬼たちの里が、まさにこの横顔の目と鼻の先なのです。

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画像:八郎潟なまはげの里男鹿半島

ご当地の文化をもじって洒落たデザインにしたと私も思いたいのですが、現地で次のモニュメントを見て、これが鬼を呪った呪詛であることは間違いないと、私は確信を深めました。

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画像:大潟村役場のモニュメント(ピラミッド)

このピラミッド型は封印術に使う典型的な造形なのです。それが八郎潟を象った庭園の小島に置かれている、すなわち、「鬼は永遠に眠っていろ」とこの地を強く呪っているのです。

八郎潟は米の増産のため、汽水湖の8割を埋め立てるという、かなり乱暴な、今では環境保護の観点からとても通らないような大事業をなしています。しかも、工期の途中で米余りの予測が出ていたにも拘わらず、この事業は完成まで遂行され続けたのです。

なぜこんなに鬼を嫌うのか?

これについては、(神)ブログの最新記事「二つの国譲りと津軽の荒吐」で古代東北王朝とも呼べる荒吐(あらはばき)国に触れているのですが、どうやら、荒吐国と中央政権の間で2000年近くに及ぶ根深い確執があるようなのです。

その詳細についてはまだ不明で、今後も調査を継続する予定ですが、この話は、第二次世界大戦で東北の部隊が最前線に送られたこと、東日本大震災で東北地方が狙われたことと無関係ではなさそうです。

そしてまた、古代期から現代にまで及ぶこの国内の確執にこそ、日本航空123便が落とされなければならなかった真の理由が隠されているのだろうと私は睨んでいるのです。

今流行りのSDGsでは「肌の色や、民族の違いで差別することを無くそう」と謳っていますが、日本政府が本気でこれを受けいれる気ならば、まず豆撒きを止めさせ、「鬼滅」なるタイトルのメディア作品を放送禁止にするのが先なのではないでしょうか?

 


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